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日本一パワフルながん患者、プロレスラー小林邦昭さんが語る
「俺とがんとの16年のデスマッチ」
130キロのバーベルが、再発がんと戦う基礎体力を作ってくれた!

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
(2008年01月号)

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小林邦昭さん


こばやし くにあき
1956年長野県小諸市生まれ。
181cm、105kg。血液型:O型。
1972年10月に新日本プロレス入門。73年2月1日、西条市体育館における栗栖正伸戦でデビュー。
80年6月、メキシコ遠征に出発。82年10月に凱旋帰国し、初代タイガーマスクと抗争を展開。 虎ハンターと呼ばれ注目を集めた。
84 年9月、ジャパン・プロレスに移籍し、全日プロに参戦。85年6月にはNWAインターJr.王座を奪取。新日復帰後の87年8月、第4代 IWGP ジュニア王座に就く。ヘビー級転向後、92年夏に越中と共に選手会を脱会し、反選手会同盟 (のちの平成維震軍)を結成。99年2月に解散するまで活躍した。
2000年4月21日後楽園ホールにてライガーを相手に引退試合。現在はフロント入り(総務部)し、選手の健康管理を担当している


小林さんが大腸がんを告知されたのは1991年6月のことだった。当時小林さんはまだ35歳。プロレスラーとして最も油の乗っている時期だった。

「がんが見つかる少し前から便に赤い血のすじが付くようになったんですよ。痔じゃないかと思って座薬のボラギノールを使うと一時的に出血が止まるんで自分では間違いなく痔だと思っていたんです。機会を見て医者に行こうと思っていたら、長州力選手が毎年1回大学病院で受けている人間ドックに行くと聞いたんで、連れて行ってもらったんです。そしたらお医者さんに指を入れてやる触診で『これは痔じゃないですね』って言われて、1週間後に大腸の内視鏡検査をやることになったんです。あれは、画像が見えるじゃないですか。びっくりしましたよ。しこりがあって、そこから崩れているのが見えるんですよ。ヤバイなと思いましたね。そのあと呼び出しがあって『悪性です』って告げられたんです」

大腸がん手術後、復帰できると信じていた

がんが見つかったのはS字結腸。入院して手術で患部を20センチ切り取ることになった。

命を失うことはまず無いと聞かされていても、この頃はまだがんを克服して現役復帰するレスラーなどいなかった時代だ。この告知は小林さんにとって死刑宣告に等しいものだったのではないかと思うが、本人は間違いなく復帰できると確信していたようだ。

「告知されたとき、女房は涙ボロボロこぼしていたけど、自分では100パーセントできると思っていました。手術のあと、ほとんどの人は社会復帰できるって聞いていたんで、あとは、手術で痩せてしまう体を再びリングに出られる体に戻せるかどうかなんだけど、それまでトレーニングは人一倍積んできたという自負があったんで、1年くらい準備期間があれば何とかなると思っていました。ですから会社(新日本プロレス)のほうにも『大腸がんで手術を受けるけど、治るがんなんで1年間休ませてもらいます。マスコミやファンには小林は内臓疾患ということにしておいて下さい』とお願いして入院したんです」

手術は腹筋の厚さが一般患者の倍以上もあったため、切開に時間がかかったようだが無事終了し1カ月ほどで退院できた。

経過は順調だったが、体重は103キロあったものが90キロに落ちていた。しかも、術後は再発しにくくするため経口抗がん剤UFTを定期的に服用していたので、それによる副作用も懸念された。また、大腸がんの手術後はしばらく排便障害が起きるため、積極的な行動がとりにくいものだが、小林さんは退院の2日後には早くも、新日本プロレスの道場でトレーニングを再開している。もちろんすぐに重いバーベルを使ったトレーニングはできないが、負荷の少ないトレーニングから始めて体を慣らしていった。

体質改善に取り組み、動物性脂肪を抑えた食事に

それと平行して小林さんは肉食を一切やめ、それまで日常的に服用していた抗生物質にも手を出さないよう心掛けた。

「抗生物質をやめたのは、本なんかでいろいろ勉強していくうちに抗生物質をやりすぎて、腸内細菌のバランスが悪くなっていたことがわかったからです。抗生物質を日常的に使っていたのは、プロレスラーっていう商売をやっている以上ある意味仕方がないことなんです。試合でも練習でも我々は生傷が絶えないんだけど、練習場のリングも、試合場のリングも、汗を吸って湿っている上に、みんな土足で上がるんで、雑菌がうじゃうじゃしてるんです。アルコールを浸したスポンジでいくら拭いても夏なんかは、ダメなんですよ。それに加え、自分の場合、化膿しやすい体質だったんで抗生物質が必需品みたいになっていたんですよ。それが大腸の中でがんの発生を防ぐ有用菌を殺していたことがよくわかったんで、やめたんです。牛や豚だけでなく、鶏肉まで一切やめて野菜、大豆製品、魚だけの食事に切り替えたのは動物性脂肪ががんを誘発する大きな要因だということがわかったからです。逆に食物繊維は抑制するという話でしたから、草食動物になることにしたんです(笑)」

がんになる前、小林さんはプロレス界では大食漢・美食家として知られ、東京から博多に向かう新幹線で食堂車にあるメニューをすべて平らげたという伝説まで作っている。それだけに肉を一切口にしないという決断はかなり勇気が要ったと思うが、ご本人に言わせればそれほど難しい決断ではなかったようだ。

「プロレスラーという仕事は、肉体を激しく消耗するから体に活性酸素が大量に発生するうえ、試合で緊張を強いられるからストレスがものすごく溜まるんですよ。プロレスラーをやっている限り、この2つが溜まるのは、いわば宿命みたいなものです。
その中で再発を防ぐには根本から変えなければダメだという思いが強かったんですよ。ですから、ステーキにも、焼肉にも未練はなかったです。練習のあとみんなが肉のたっぷり入った鍋をつついていても、自分だけは豆腐しか食わなかったですね(笑)。みんな、それまで俺が見せていた底無し胃袋を知っているんで、不思議そうな顔をしていましたよ」

このように体質改善に取り組みながら、徐々にトレーニングの負荷をアップさせていった結果、小林さんは予定通り1年間のブランクでリングに復帰することができた。

とはいえ、筋肉だけで目方を増やすのだからそう簡単には増えない。リングに復帰した時点で体重は98キロまでしか回復していなかった。心肺機能もだいぶ落ちていたため、しばらく6人タッグマッチにだけ出場し、1、2分リングで暴れて息が切れたら味方にタッチ、というパターンを繰り返していた。

それも時間がたつにつれて体力は回復するので、ファイトできる時間は徐々に増え、シングルマッチもこなせるようになった。

抗がん剤の副作用が全くなかった

写真:現役レスラーを思わせる丸太のような上腕二頭筋
現役レスラーを思わせる丸太のような上腕二頭筋。
女性のウエストぐらいありそうだ

この時期、小林さんの頭に常にあったのは「5年間は何が何でも再発させない」という思いだった。そのため検診にはマメに通い、年に3、4回はCT検査や血液検査を受けていた。結果はいつも良好で腫瘍マーカーの数値も低いところに安定している状態が続いたが、それで慢心することなく小林さんはストイックな菜食主体の食事を続けた。

藁にもすがる思いだった小林さんは、がんに効くと聞けばどんなものでも片っ端から買って試すこともした。最初に飛びついたのはクロレラで、大麦若葉も2年やったという。さらにキチンキトサン、アガリクス、プロポリスという順で試したが、効果があったと実感できたものは無かったようだ。

驚くのは経口抗がん剤のUFTを毎日服用していたにもかかわらず、副作用がまったく出なかったことだ。UFTは比較的副作用が小さいといわれている経口抗がん剤だが、まったくでないケースは稀だ。下痢、吐気、口内炎など消化器に副作用が出る比率はきわめて高い。製造元の資料を見ても、国内臨床試験での副作用発現率は95.5パーセント。海外での臨床試験では100パーセントという数字で、後者では下痢、倦怠感、悪心の発現率はどれも60パーセントという高率になっている。

しかし小林さんは食欲も便通も常に正常で、白血球減少、好中球減少などの骨髄抑制もまったく見られなかった。抗がん剤をやるには体力が必要と聞いていた小林さんは、徹底的に鍛え上げた体が副作用を防いでいるのだと思った。

こうしてがんとの戦いを続けた結果、再発しないまま5年のラインを無事通過することができた。


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